1年4ヶ月後の被災地

近年の災害の多さを想い、故郷の自然災害の酷さを目の当たりにしたときのことをお伝えします。

 

自然災害が多発するこの国

私の生まれ育った故郷は、広島市安佐南区です。

私は、結婚と同時に故郷を離れ、その後は毎年里帰りする程度でした。

両親は、高齢になったので、20数年前に、この地を売却し、埼玉県に引っ越しました。

 

2014年8月20日に豪雨による土砂災害が発生して、74人の方が亡くなりました。

この日の朝の報道から、テレビの前から一日中離れられなくなりました。

数百年に一度の土砂災害と言われています。

午後のワイドショーで、レポーターの人が写っている風景が、実家のあった直ぐ近くだと直感しました。

 

それから1年4ヶ月後、主人の亡き母の法要で、広島に帰ったときに、実家があった場所に行ってみました。

最後に訪れてから、20数年経っていましたが、記憶をたどりながら、坂道を登り、だんだんと災害の爪あとが残っているのを確認できました。

上記の写真も、実際に撮ったものです。

家がなくなった宅地

 

災害現場というのは、テレビに映らない厳しい現実がありました。

左の写真のように、ガレージ部分だけ残っている宅地もかなりありました。

ここは、昔は山だった所です。

 

 

 

私の実家があった場所には、2軒の家が建っていて、道沿いの外構部分が削られていました。

道を挟んで後ろの家は跡形もなく、コンテナが置いてあるだけでした。

1年4ヶ月経っても、亡くなった人が出た土地には、竹筒が土地に差してあり、その中に花が添えられていました。

 

テレビで写った場所

 

 

やはりワイドショーで見た景色は、予感どおり実家があった場所の近くでした。

そして驚くことに、昔は家が建ってなかった山の部分にたくさんの家が建っていました。

高台に住んで、雨が原因で亡くなるとは、誰も想像できなかったと思います。

 

 

 

 

 

後日いろいろ調べると、あの地域は、真砂土(まさど=花崗岩が風化してできた砂状の土壌)というもろい土壌だったことが判りましたが、私は一度も聞いたことがありませんでした。

現代は車社会なので、駅やバス停から遠くても、住宅地として造成されれば、広島市のベッドダウンとして、売れていったそうです。

しかし、昔を知っていれば、あんな高く山の近くに家を建てるべきではなかった、と思います。

2014年には、父はすでに亡き、母も高齢で認知症だったので、この災害を知ることができませんでした。

 

そして、今年7月にまた豪雨のため、広島、岡山、愛媛県は、酷い被害を受けました。

地震や台風もきますし、常にどこかに避難者がいる状態です。

 

私はボランティアに行くこともできないので、少しばかりの義援金を送るだけです。

しかし、被災地では、ボランティアに扮した窃盗グループが暗躍するらしいです。

どん底にいる人から、金品を盗ることだけは、許せない行為です。

2018.9.13 記